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【along with her story】ミュージシャン 萩尾しの

GARGERYが似合う大人の女性アーティストにスポットを当て、リュトンを片手に、思い思いのストーリーを語っていただいています。日暮里のBar PORTOでミュージシャンの萩尾しのさんにお会いしました。

-こんにちは!

個性溢れる音楽活動を!

―まずは、萩尾さんの最近の音楽活動についてお聞かせください。

「関東圏にてボーカリストとしてソロ活動をしています。アルバム「Shino’s Box」が発売中です!

Amazonでも販売しております。スタンダードジャズ、ジャズアレンジコーラスもの、邦楽ポップス、ファンク、オリジナル等、萩尾しの色満載で収録しています。【萩尾しの、CD】で検索してみて下さい。」

萩尾しのAlbum「Shino’s BOX」PV(プロモーションビデオ)

「他のYouTubeは、ふなっしーが大好きで、ふなっしーの楽曲をボサノバアレンジで上げてあります。是非聴いていただきたいです!そしてふなっしー本人にも此方を聴いて貰いました。その様子がフジテレビのスーパーニュースでも流されたんですよ。そして更に「アンパンマンのマーチ」をアップしました!

ふなふなふなっしー♪cover / JAZZ version

アンパンマンのマーチ バラードカバー

「現在は関東圏のジャズバーなどに出演したり、営業の演奏もしています。自分の個性を出してライブ活動をさせていただける場も多く、自分の中ではバランスよく納得できる活動ができていて、いろんな意味で感謝の絶えない日々です。」

「ジャズをベースとして色々な楽曲を捉えて、ジャンルに捉われずに演奏しています。ジャズやロック、ポップスやファンク、Jポップ、アニメやゲーム音楽、童謡やクラシック、そしてオリジナル等、ごった煮状態でその場に応じてお届けしています。」

勇気を出して自分を人前に!

―音楽の世界に入ったのはどんなきっかけだったのでしょう?

「幼少期から音楽は好きで、最初に触れた楽器は家にあったオルガン。そして初めて習った楽器はクラシックギターでした。当時ギターを弾く小学生は珍しかったと思います。歌は学校唱歌が好きでしたね。音楽の教科書は全て保存していて、舐めるように隅から隅まで見ていました。学生の頃に中島みゆきに傾倒し、彼女の楽曲を歌っている内に芯のある声が出るようになりました。この声が出なければ今も歌ってはいなかったかも。」

「当時は人見知りで、人前で歌うなんて怖くて出来なかったのですが、バンドを組む様になって無理矢理自分を人前に引き摺り出す、という感じでした。人前で歌うのはとても恐ろしかったですが、同時に気持ちも高揚する複雑な気分でした。バンドはロックから入り、そして段々とポップス等も歌う様になり、ゴスペルにも参加する様になってソロを取って国際フォーラム等大きなホールで歌う事もありました。ロックからの転向で声の出し方はかなり悩みましたね。」

「お店でジャズも歌う様になったきっかけは、とあるお店が上野に開店するに伴ってミュージシャンを探していた所からです。そこではローテーションでミュージシャンが当てられて、ジャズや洋楽ポップスを歌っていました。それがジャズに触れた初めてだったのですが、ジャズは捉えどころがなく、なんて難しいのだろうと思っていました。」

「その後そのお店が閉店してしまった後に銀座のオールディーズバーを紹介してもらって暫くオールディーズや洋楽ポップスを歌っておりました。人前で歌うということを鍛えられた日々でした。その頃位にジャズのセッション等に行く様になって、ジャズにのめり込んで行きました。セッション等に参加していると自然とお店から声が掛かるので、出演させて頂く様になりました。あの頃はジャズ漬けでしたね。当時は関東で名のあるお店にかなり出ていました。月の三分の一以上ライブをしていましたね。懐かしいです。

そうこうする内に、自分の個性を出して歌える場を探す様になり、今に至ります。」

Bar PORTOでのライブ

とにかく、辞めない

―ミュージシャンとして大事にしていること。心がけていることを教えてください。

「大切にしている事…。とにかく、辞めないことです。私は英才教育を受けて学校で音楽を学んだ訳ではないですし、ほぼ全て独学です。発声や発音などは個別に習いましたが、構築は自分流です。なので、音楽に対する愛は、やはり才能を学校で磨いて来た方々には及ばないし、私が辞めても誰も困らないなぁと思ってしまうことがあります。周りのミュージシャンも辞めてしまった方を何人も見て来ました。でも自分は辛くても、モチベーションが下がる時でも、とにかく絶対に辞めないでやっていく、が信条でした。辞めるのも怖かったんだと思います。声が出る限りやって行きたいし、もしも出なくなったら、裏方に回ってパトリョーニャになって音楽界を支えたいかな (笑)。」

「今後はこの活動を継続して周りも自分も幸せになれる空間を作るべく模索して行きたいですね。次回のアルバムはもうCDの形にはせずデータ配信になると思いますが、ちょっと色々考えております。はっきり目鼻が付いてきたら宣伝させて下さいませ!」

スケジュール http://hagioshino.blog.fc2.com/
「萩尾しの平成JAZZ浪漫」ブログ https://ameblo.jp/hagioshino/

実家はまるでバー、母は蔵元勤め

-お酒を飲みに行くのはどんな機会が多いですか?

「お酒を飲みに行くというよりは、美味しいお食事と共にお酒を嗜みたいと思っています。食事に合わせたお酒を飲むととっても幸せになります。主に飲むのは日本酒とワイン。それぞれ物凄く奥が深くて、私の周りは勉強熱心で資格も取られる方が多いのですが、私は結構感性だけで飲んでいる事が多くて。でも周りからは感覚が鋭く、独特だと言われます。」

-外飲みで何か印象深い経験や思い出はありますか?

「外飲みではないですが、お酒の原点はやはり父ですね。凄く強くて大好きだったみたい。家のリビングには洋酒から何から物凄くお酒の瓶が並べられていて、今思うとバーかな、と思う位。でもそれが子供の頃からだったので、他所のお家もみんなそうなんだろうと思ってましたね。

家は酔鯨の蔵元が近所で母が勤めていたのですが、母が酵母を育てていた時期もあって、よく品評会に出すラベルの無いお酒を頂いて飲んだりしていましたね。その価値がその頃は分かって無かった事が今思うと残念です。」

「ガージェリーに出会ったのは、ここBar PORTOさんが初めてなのですが、ライブの後に解放されて飲むビールは最高ですよね。しかも改めてじっくり味わうと程よい苦味とコクの、味わい深いビールで、本当に美味しいビールだなと思います。私はビールは苦いものや重いものは苦手で、ハートランドなど軽めのものを飲んでいたのですが、そんなに軽くは無いガージェリービールですが、別格に美味しいですね。大好きになりました。先日のライブの後には三杯も頂いてしまいました。Bar PORTOにいらしたら是非ガージェリーを飲んで下さいね。」

協力:Bar PORTO(日暮里)

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